習得した、あなたの手話で120%手話表現し、聴覚障害者と会話したりサポートしていきませんか。
手話は聴覚障害者のなかで「手話はいのち」と表現される場合もあります。聴覚障害者の私も非常に同感です。
手話をやっている方は「手話は命」だと聞くとなんとなくわかると思いますが、初めて手話を学ぶ方にとっては「どういうこと?」と思うかもしれません。
そこで聴覚障害者の私が、自分自身の考えを含めて、「手話はいのち」はどういうことかを解説します。
手話はいのち、とはどういうことか
健聴者は特に手話しなくてもコミュニケーションはできます。私を含む聴覚障害者は手話がないとコミュニケーションに困ります(障害の程度によって様々)
この後の文章は聴覚障害者の私が経験したことです。あなたが耳が聞こえないつもりで読んでみてほしい。
健聴者と混ざった飲み会に参加。1人の健聴者が口話で話している。すると僕以外の人皆は笑っている。しかし、僕は笑わない。何を笑っているのかがわからないからです。
その次、健聴者と混ざった飲み会に手話ができる友達も呼び、手話通訳してくれました。みんなが笑うと僕も笑いました。これは手話通訳のおかげです。
分かりやすくイメージしてもらうために飲み会の出来事を書きましたが、
この話から、私は思っているのですが「手話は聴覚障害者の耳」です。
なぜ聴覚障害者の耳だと思うのかを、解説します。
文字情報がすべてとは限らない
文字情報がすべてとは限らない、とはどういうことかを聴覚障害者の私や友達の経験も織り交ぜながら解説します。
最近の3つの事例を紹介させていただきます。(聴覚障害者の私や友達の経験)
1時間会議に数行の結論
とある会社で働く聴覚障害者のTさんの経験談です。
製造業で働くTさんは会議に参加。1時間みんなで話し合います。議事録作成する方もいます。しかし、Tさんは内容を掴められませんが、議事録は後ほど参加人数分に配布されるので、内容は把握できます。ただ、Tさんはそれでもわからないと言います。
議事録があるのに、それでもわからないと疑問を持ったのではないでしょうか。
それはA4用紙に結論にしか書かれていなかった。Tさんはなぜその結論になったのか知りたい。しかし、結論にしか書かれていません。
結論に従って、業務に取り組めてるのですが、なぜその結論に至ったのかがわからないままだそうです。
資料以上に話す昼礼・夕礼
これは某メーカーで働く私の経験談です。
月に1回、課長による昼礼・夕礼があり、約100人の前に立って品質状況・生産状況・ルール変更などの説明をしてくれます。
その際、スクリーンに資料を表示してくれます。しかし、先ほどの「1時間の会議に数行の結論」と同じように資料に書いてない内容の説明もたまにありました。
コロナ流行以来、食堂の利用方法が変わった。しかし、私を含む聴覚障害者の仲間たちといつもように食堂を利用するとスタッフが「ダメです」と突然、言われました。いつも通りに利用していた私たちに突然ダメと言われて、私も含めてみんなでパニックでした。
少し口話できる聴覚障害者の方がおり、質問すると「利用方法が変わったと聞いてないの」と言われました。
しかし、私たちは聞いていません。職場仲間に確認すると「昨日の昼礼で食堂利用方法が変わったと説明してたよ」と。
利用方法が変わったとスクリーンに資料表示がされていませんでした。しかし、実際は課長が口頭で利用方法が変わったと説明。資料通りに話していると思い込んだ私たちは気づかず、いつも通り利用していたため、注意されたわけです。
休日出勤の連絡漏れによる無断欠勤
これは私が働いている会社にいる聴覚障害者の先輩のYさんの経験談です。
かつてにない大幅な納期遅延により、突然、元々休みだった祝日が仕事になった。朝礼でその連絡をした。しかし、Yさんへの連絡がなかった。
祝日休みだと思い込んでたYさんはいつものように休んだ。次の日、出勤すると上司に「昨日無断欠勤だろ」と怒鳴られた。Yさんは「それは聞いてない」と説明したが、納得してくれない様子。聴覚障害者協会に相談し、動いてくれたことで上司の連絡漏れを認め、謝罪。
対策方法とは
最近の3つの事例を紹介しましたが、それ以外にもたくさん経験しています。
仕事はチームワークプレーなので、1人だけが知ってる、1人だけが知らないなのでは、情報共有できたとは言えないというのが私の考えです。
要は健聴者は知ってるが、聴覚障害者は知らないのでは、情報共有できた、と言えない。
そのために聴覚障害者にも報連相できる仕組みが重要。ただ、先ほどの事例のように文字情報だけがすべてとは限らない場合が多い。
とある病院へ行ったとき、お医者さんと筆談でやりとりしてたが、簡単な内容ばかりだった。患者の私にとっては詳しく知りたいなのに、簡単な内容でしかないと不安になります。
手話通訳がついてると最初から最後まで通訳してくれます。
聴覚障害者の私にとっては安心するし、非常にありがたい存在です。